化銀杏 泉鏡花
貸したる二階は二間にして六畳と四畳半、別に五畳余りの物置ありて、月一円の極(きわめ)なり。家主(やぬし)は下の中の間の六畳と、奥の五畳との二間に住居(すま)いて、店は八畳ばかり板の間になりおれども、商売家(あきないや)にあらざれば、昼も一枚蔀(しとみ)をおろして、ここは使わずに打捨てあり。
往来より突抜けて物置の後(うしろ)の園生(そのう)まで、土間の通庭(とおりにわ)になりおりて、その半ばに飲井戸あり。井戸に推並(おしなら)びて勝手あり、横に二個(ふたつ)の竈(かまど)を並べつ。背後(うしろ)に三段ばかり棚を釣りて、ここに鍋(なべ)、釜(かま)、擂鉢(すりばち)など、勝手道具を載(の)せ置けり。廁(かわや)は井戸に列してそのあわい遠からず、しかも太(いた)く濁りたれば、漉(こ)して飲用に供しおれり。建てて数十年を経たる古家なれば、掃除は手綺麗(てぎれい)に行届きおれども、そこら煤(すす)ぼりて余りあかるからず、すべて少しく陰気にして、加賀金沢の市中にてもこのわたりは浅野川の河畔一帯の湿地(しけち)なり。
園生は、一重の垣を隔てて、畑造りたる裏町の明地(あきち)に接し、李(すもも)の木、ぐみの木、柿の木など、五六本の樹立(こだち)あり。沓脱(くつぬぎ)は大戸を明けて、直ぐその通庭なる土間の一端にありて、上り口は拭(ふ)き込みたる板敷なり。これに続ける六畳は、店と奥との中の間にて、土地の方言茶の室(ま)と呼べり。その茶の間の一方に長火鉢を据えて、背(うしろ)に竹細工の茶棚を控え、九谷焼、赤絵の茶碗、吸子(きゅうす)など、体裁よく置きならべつ。うつむけにしたる二個(ふたつ)の湯呑(ゆのみ)は、夫婦(めおと)別々の好みにて、対にあらず。
泉鏡花
尾崎紅葉のもとで小説修業をし、『夜行巡査』『外科室』の2作が評価を得て、本格的な作家生活に入った。幽玄華麗な独特の文体と巧緻を尽くした作風は、川
端康成、石川淳、三島由紀夫らに影響を与えた。
小説家。本名、泉鏡太郎。明治6年11月4日?昭和14年9月7日。石川県金沢市下新町二三番地に生まれる。明治23年、小説家を志して上京。翌年、尾崎
紅葉の玄関番として尾崎家に同居し、小説修行に励んだ。明治28年、「夜
行巡査」、「外科室」を発表し、高い世評を得るが、翌年、それまでの観念的な作風を一転させた「照葉狂言」を発表。自然主
義文学が文壇の主流を占めるなか、耽美的、浪漫的、怪異な作風を展開し、やがて「高
野聖」(明治33)などにおいて、師・紅葉を凌駕するほどの人気作家となった。大正に入ってからは、「夜叉ヶ池」(大正2)や「天守物語」(大正6)など、戯曲においても超自然的な幻想世界を展開。以後も、日本文化の古層とも繋がるよう
な唯美の世界で、日本近代文学史上に独自の地位を築いた。昭和14年9月7日、肺腫瘍により死去。享年65歳。代表作は「照葉狂言」、「高
野聖」、「婦系図」、「歌行燈」、「天守物語」など。
